先週、少しばかり東京で過ごしていた。
去年の6月以来だから1年以上は空いたことになる。
前回は一人で今回は一家で訪れたので、
色々と思うところがあった。
“いかにもTOKYO”な時間を一家で満喫。
よくよく考えてみれば、家族全員で上京するのはすごく久し振りであり、
下の子が生まれてから4人で行くのは初である。
5歳と2歳の男児が一緒なので否が応でも子ども中心の旅程にせざるを得ない。
そんなわけで…
・はとバスに乗って都心周遊
・東京ドームシティで遊園地体験
・お台場でグルメ&遊び堪能
という自分一人、または夫婦だけだったら絶対にやらないことをやってみた。
それはそれで“いかにもTOKYO”な時間が過ごせてとても楽しかった。
もちろん、僕のことだから間隙を縫ってビールタイムに勤しんでいた。
・はとバス発車前のわずかな時間にビアカフェ立ち寄り
・高校の同級生とビアバーでしこたま飲み
・銀座のギャラリーに行く前に話題の「BEER TO GO」訪問
・ホテル前のスーパーで仕入れたJ-CRAFTシリーズで晩酌
・American Craft Beer Experienceというビールイベント参加
こんな感じである。当初はもっとビールタイムを考えていたが、
過激なスタンドプレーは和を乱すので控えておいた。
東京の“ケ”の部分も同時に体験。
以前、こんな記事を書いたことがある。
「田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている」のか?*ライターの移住月記
「教育の格差といえば貧富の差」というのが一般論だけど、実はその陰に地域格差というものもある。
という趣旨の記事に対して思うところを書いた記事を僕はこう結んだ。
進路や生き方を選択するのはあくまで子どもであり、僕はその判断を全面的に受け入れるつもりでいる。でも、将来の選択肢を増やしたり、その選択肢を具体的に想像できるようにさせる責任は親にある。親が色々な場所で見聞きしたことを積極的に伝えていくこともきっと大事だ。少なくとも僕はそう思って、今後意識的に過ごそうと思った次第である。
今回、子ども達と東京に行くということで何となく思ったのは、
東京のハレの部分だけを見せるのは嫌だなあということ。
言うまでもなく東京は多様な場所。
街も、住んでいる人も、生き方やルールも様々。
にもかかわらず、短期滞在だと遊園地や豪華メニューのレストラン、
観光客が集まる眩いスポットを渡り歩きがちである。
まあ僕らも思いっきりハレなTOKYOを楽しんだのだけど、同時に
・平日の夜、友人の職場(出版社)を訪問
・僕が小さな頃によく遊んだ町の小さな公園で遊ぶ
・姉一家の家に泊まっていとこ達と交流する
・タクシーばかり使わず、公共交通機関を使って移動
こういった東京の“ケ”の部分を子ども達に体験させることができて
良かったなあと振り返っている。
街をフラットに見る目を養う。
東京出身でよかったことなんて特にないよなと思っていたけど、鳥取移住後に東京を絶対視して「憧れ」や「コンプレックス」「過度な恐れ」などを抱いている人に何度か出会うことで、東京を相対視できるが為にそれらの呪縛から完全に自由ってだけで実は結構ありがたいことなのかもと気付かされた。
— 矢野竜広(フリーライター@鳥取) (@beeressayist) 2017年4月12日
これはいつぞやの自分のツイート。
“人生をずっと鳥取だけで過ごしてきた”
という人に僕は鳥取に来て初めて出会った(当たり前だ)。
そういう人達にとって東京はすごい場所であり、
話を聞くとどうも実態とズレがある。でもたぶん、これは仕方がない。
僕だって行ったことのないロンドンやロサンゼルス、北京などをうまく想像できないし、
間違ったイメージや肥大したイメージを持っているかもしれない。
でも、東京については、淡々とした日常や意外なまでのローカル性や緑の多さ、
とんでもない人もごくフツーの人もそれぞれ適度な割合でいることを肌で知っている。
僕は今のところ、そんなバランスの取れた目で都市を見ることが大事だし、
子どもにも「東京はとんでもなくスゲー場所」と捉えるのではなく、
フラットに見ていて欲しいなあと思っている。
まあ、子ども達が年頃になったら結局、「とんでもなくスゲー東京に行きてえ!!」
ってなるかもしれない。そうなったら「行ってらっしゃい!」と言うだけだし、
むしろ若者だったらそんな熱に浮かされたような気持ちも大事なのかもしれない。
とも思うけれど。