“移住者”は結局のところ いつまで“移住者”なのだろうか?*ライターの移住月記

書き手プロフィール
矢野竜広
1980年生まれ。会社員コピーライター、放送作家を経てフリーランスに。2013年、住み慣れた東京を離れて鳥取県へ。自宅にオフィスヤノを構え、WEBデザイナーの妻とともに夫婦で在宅ワークにいそしむ。無類のビール好き。 ブログはビアエッセイ・ドットコム。ツイッターのフォローはこちらから。
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今年の7月で移住から丸5年である。
2013年から2018年。
そりゃ、僕も32歳から37歳になるし、
移住後すぐに生まれた長男も8月で5歳になるわけだ。
ふと僕はいつまで「移住者」なのかを考えた。

「〇〇みたい」と表現できなくなる日。

この記事のタイトルは「移住月記」。“日”記はしんどいけど、“月”記として月に1度は移住者の目線で考えたことや体験したことを書こうという趣旨だ。
 
ただ、もはや僕は感度の高い移住者ではないのではないかと思うときがある。昨秋、大山に来た藤井フミヤ氏がテレビ番組で呟いた印象的な一言をツイートしたことがあった。
 


 
移住者の人は少なからずわかると思うけど、それなりに長く住んでいると、この「〇〇みたい」という部分が出てこなくなる(まあ、僕はハワイの離島には行ったことがないのだが…)。
 
こちらに来たばかりの頃は物々交換をしている様子を見ては「原始社会みたいだ…」と思ったり、大山を見ては「富士山みたい」、自然が織りなす何か圧倒的な風景を目にしたら「日本じゃないみたい」と驚いていた。今やよく目にする田舎の光景であり、雄々しい大山の姿であり、鳥取の綺麗な風景でしかない。「〇〇みたい」と表現できるというのは、実は対象を異化できる貴重な時期なのかもしれない。じゃあ、その時期が過ぎたら人は移住者ではなくなるのだろうか。

自分の感覚と周囲の目というギャップ。

全くの例え話で視点を逆にしてみようと思う。
 
僕がアメリカのサンディエゴのことを知りたいと願い、現地取材を考えたとする。現地を案内してくれるマイケルさん(仮名)がニューヨーク出身(30年間在住経験あり)で、サンディエゴ在住歴が
 
半年だったら。「いやいや、別のもっと地元出身のガイドさんに変えてよ」と思うだろう。
では…
 
10年だったら。「あー、地元の人ではないんだ…。まあ、いいか」
 
30年だったら。「ニューヨークとサンディエゴ、両都市の違いなんかがわかってかえっていいかも」
 
50年だったら。「いやいや、半世紀いたらもうほぼ現地人ですから気にしないですよ」
 
と思うような気がする。
 
そう考えると、5年というのは長いようでいて意外と短い。自分自身では結構こちらの生活に慣れたな~と思っても、周囲はそう見ない。「こっちに来たばっかりの人でしょ?」ということになる。やっぱり一つのボーダーラインは10年なのかなあとぼんやり思う。

移住5年というのは、中途半端だ。

来日した外国人だって、離日することなく10年間滞在し続けたら、「色々あっただろうに、よく10年も日本で暮らしたなあ」とある種の感慨を覚える。
 
「来日10年。今、日本人に伝えたいこと」なんてテーマの講演だってそれなりの価値や重みを持ちそうだ。
 
ただ、言うまでもないことだけど外の者、という事実は変わらない。国籍が違う外国人だとわかりやすいけど、同じ日本人同士でも生まれ育った場所が違うと外の者という点は拭い切れない。でも、10年という長さは「人が色々な知見を得るのに十分」とは言えそうだ。
 
その意味では移住5年の僕は実に中途半端だ。地元の人にとって“目から鱗”の新鮮な意見をバンバン言えるわけでもないし、かと言って「生活をずっと続けた結果、鳥取ライフを体系的に語ることができる」というわけでもない。
 
もちろん、だからと言って哀しいわけでも、がっくり来ているわけでもない。「東京30年、鳥取5年」でしか語れないこともあるかもしれない。そう思って記事を書いている。
そして、夢想する。「東京生活30年、鳥取生活30年」になったとき、僕は一体何を思うのだろうか。少なくとも今より確固とした鳥取論を持っているだろう。もしかしてまだ「移住月記」を書き続けていたりなんかして。

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