東京時代には馴染みの薄かった芝と向き合った半年*ライターの移住月記

書き手プロフィール
矢野竜広
1980年生まれ。会社員コピーライター、放送作家を経てフリーランスに。2013年、住み慣れた東京を離れて鳥取県へ。自宅にオフィスヤノを構え、WEBデザイナーの妻とともに夫婦で在宅ワークにいそしむ。無類のビール好き。 ブログはビアエッセイ・ドットコム。ツイッターのフォローはこちらから。
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どういうわけか、2019年は芝な一年だった。
英語にするとグラッシーイアーとでも言うのだろうか。
往時のグリーンの勢いが失われた今、
僕のグラッシーイアーについてまとめてみたい。

ラグビーW杯と鳥取県の意外な関係。

ラグビー日本代表の「ブレイブ・ブロッサムズ」が
ブレイブな姿を花開かせていたこの秋。
実はラグビーW杯と鳥取県は意外な関係があった。
日本代表が初の決勝トーナメント進出を決め、
南アフリカ代表と味の素スタジアムで相見えた試合。
このスタジアムの芝の生産者は鳥取県の会社だったのだ。
なんと鳥取県は全国2位の作付面積を持つ、
一大芝生生産県なのだ(1位は茨城県)

東京にいる頃、「芝生」と聞いてもピンとこなかった。
公園などでたまに見かけるくらいの
馴染みの薄ーい植物だった。ところが、
鳥取県は大山町に移り住んでくると、
途端に芝は馴染み深い存在となった。

運動会は芝生の上だし、

大山町周辺を車で走っていると、よく芝畑を見かける。
最初は「なんだあの広大かつ綺麗な空き地は?」と
思っていたのだけど、いつしか芝畑なのだと理解した。

近所が一大芝生生産地というわけで、
2015年に家を建てたわりとすぐ後に、
芝は我が家の庭にやって来た。
正直、自分の意志ではなかったので、
「面倒くさいな…」と思ったことは間違いない。

すべては、自分の「うまい!」のために。

4年間はそんな感じで本当に適当に芝を育てていた。
思い入れがあまりなかったのである。
それが、今年の3月くらいに突如、覚醒した。
「今年は春から芝生をきちんと管理して、
青々した芝を眺めながらビールを飲もう!!」
と心に誓ったのだ(結局モチベーションはビール)

その3月当時の写真がこちら。

青くないのは季節上しかたがないのだけど、
あまりに適当に放置し過ぎたせいで部分的に苔が生えていた。
さらに、場所によっては雨の後に大量のキクラゲ的物体が
群生するようになっていた。

まずはそういった負の遺産を一掃するところから始めた。

時には家族にも手伝ってもらいながら。

すると当然のことながら、土の部分が露出する場所が増えた。
この後、本当に芝は生えてくるのか?と不安になったが、
これは「痛みをともなう改革」なのだと自分に言い聞かせた。

そして、色々調べたうえで
・エアレーション
・目土入れ
・サッチング
・雑草抜き
・肥料やり
・水やり

をやってみたのである。
なんでも芝を育てるためには春が最重要とのことで、
米百俵の精神で頑張った。

すると…

芝のおかげで毎日ワクワクしていた夏。

5月になると、緑色の部分が目立ってきた。

だが、まだまだ茶色がメイン。
芝畑の芝やよその家の芝はこの時期で既に青々していた。
「隣の芝は青い」とはよく言ったものだ。
だが、ひたすら雑草を抜いてその時期を待った。
そして、6月が来ると、

だいぶ緑の部分が増えてきた。
これはもう一息か?と
・雑草抜き
・晴れが続いたら水やり
・時々肥料やり
をさらに続けて7月が来ると、

だいぶ芝が青々してきたのである。
この頃から、毎日起床して芝の様子を見るのが楽しくなっていた。

そして、8月。

夏になるとさらに青は濃くなった。
伸びた芝は芝刈り機で嬉々として刈った。
芝生ってこちらが手間をかけたぶんだけ
色や状態で応えてくれる。
その素直さが実に素晴らしいなと思った。

そんなわけで、春の時点では
「本当に生えるの?」と思っていた芝生だが、
見事に綺麗に生えて、ビールを美味しくしてくれたのだった。

いつしか我が家には保育園帰りの子ども達が集まり始め、
公園のような雰囲気になったことがたびたびあった。

僕は業者ではない。
時間も無限にかけられるわけではない。
でも、ちょっと意識して手をかけるだけで、
ものすごく豊かな時間と空間を与えてくれる。
「趣味:芝生」
そんなにお金もかからないし、ビールも美味しくなるし、
子どもも喜ぶ。結構いいかもしれない。

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