紐落しって何?文化的根無し草による子育て*ライターの移住月記

書き手プロフィール
矢野竜広
1980年生まれ。会社員コピーライター、放送作家を経てフリーランスに。2013年、住み慣れた東京を離れて鳥取県へ。自宅にオフィスヤノを構え、WEBデザイナーの妻とともに夫婦で在宅ワークにいそしむ。無類のビール好き。 ブログはビアエッセイ・ドットコム。ツイッターのフォローはこちらから。
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先日、地元の春日神社で次男の七五三をした。
東京で子育てをしたことはないので比較はできないけど、
こちらでは昔からの伝統や地元の文化を子どもに
感じてもらう機会が多いような気がする。

抱かれ子?or紐落し?

11月になったら七五三という行事がある。
という感覚は普通に持っているのだけど、由来とか意味とか具体的に何をするのか?とかはさっぱりわからない。今回もこれまでの子どもに関する行事同様、妻にまかせっきりだった。「とりあえずその日、スーツを着ればいいんだ」という思いしかなかった。

で、地元の春日神社に行くわけだけど、
受付で「抱かれ子ですか?紐落しですか?」と問われて頭にはてなマークが浮かんでしまう。

ちなみに、抱かれ子って何なのだ?とググってみても「抱かれ子とは」なんて記事は出てこない。どうやら鳥取県西部のごく一部の地域にしかない神事のようである。が、「抱かれ子(初宮)」という記述があるので、お宮参り的な行事であることがわかる。

で、紐落しって何なのだ?とググってみるとこれは山陰に広く伝わる言葉で、要は七五三の別名らしい。

というわけで、無事に受付を済ませ、

結構人が集まる中、

晴れ着に身を包んだ次男の紐落としを行った。

僕もよくわからなかったが、とりあえずつつがなく紐落としは終わったのだった。

地元の文化をしっかり学ぶ子ども達。

自分自身を振り返ってみても、写真があるので七五三をやってもらったのだけど、親として「七五三とはこういうものだ」と伝えられるまでの知見は得られていない。今回、子ども達に「七五三って何なの?」と聞かれてはいないけど、聞かれたら口ごもってしまったに違いない。

子ども達の保育園の様子を見ると、七草を実際に見て勉強したり、林の中に分け入って植物や虫を学んだり、田植えに参加したり、地元の名産であるブロッコリーの出荷式に参加したり大山登山をしたりと豊かな自然の中で地元の文化をしっかり学んでいる。おそらく分野によっては子ども達の方が知識があるに違いない。

僕が通っていた保育園は東京都文京区にあった今は無き小石川学園なのだけど、近所には住宅しかなく、外に散歩に出た記憶すらない。外に出たところで向かう先がない。子ども達の保育園は少し歩くと、林があり、芝生広場があり、小川がある。

「自然はなかったかもしれないけど、文京区に伝わる歴史やその土地ならではの文化を学んだりはしなかった?」と聞かれても、そういうことを学んだ記憶が一切ない。たぶん東京の保育園なんてどこもそうなんだろうけど、ひな祭りとか鯉のぼりとか七夕とか日本の一般的な伝統を学んだ程度。

本当に文京区の知識がほぼほぼないまま22歳で離れてしまった。

子ども達はルーツのある生きやすい人生を。

この前、BBQで東京から来た若者と僕、鳥取にずっと暮らし続ける地元の人の3人で話をする機会があった。地元の人は「東京の人は故郷がないとか言うけど、東京の暮らしの中にあったはずだと思うんだよなあ」と言われた。

確かに大学がたくさんあって、都会の割に六義園とか小石川植物園とか緑が豊かで、印刷会社がたくさんあって徳川家康とゆかりがあって…みたいなことは学んだし体感もした。でも、やはり故郷という感覚はない。大学に入って地方からやって来た人と話せば話すほど「自分は人に話せるような地元の文化を持ってないなあ」とも思った。そもそも言葉もそうで、標準語には色がない。文化的に無味無臭に育った根無し草の感覚というのがある種コンプレックスのようになっていた。

ルーツがしっかりしていればいるほど、人は自分が生きる意義を感じる。でも、ルーツが弱いとぐらつく。皇室や歌舞伎の家みたいにあまりに強固なルーツを持って生まれたらそれはそれで大変なのだろうけど、ほどほどのルーツは生きやすさにつながるだろうと思う。大袈裟な話になったけど、うちの子ども達は鳥取県大山町というどっしりしたルーツを持って、自由に人生を羽ばたいて欲しいと思うのである。

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